同行二人

四国八十八箇所巡礼は一番札所霊山寺から始まる。

しかし遍路道は実は日常の中にも広がっている。

家を出たら、そこはもう遍路道。

見上げる空やすれ違う人は自分の死装束を写し出す。

遍路は寺から寺へ巡って行く。

寺に着けば御朱印をいただき、また次の寺へ巡って行く。

高知県室戸市佐喜浜の出身です。御先祖様は江戸時代に奈良の方から来たと聞いていますので、四国遍路に来て御先祖様はそのまま住み着いたのかもしれません。地元は真言宗ですが両親は臨済宗に傾倒した事がありました。私自身は若い時から人生に疑問を持っていて統一教会に触れて、その後は天理教や生長の家にも触れましたが、ココしかないと統一教会>家庭連合に戻っています。それでも遍路は自らの基本となっているような気がしています。

結婚した30代の頃から重症の喘息とアトピーで苦しめられ入退院を繰り返しますが、50代の時に脱ステロイドを経験しました。その地獄の様な経験から誰にも脱ステロイドを勧めようとは思いませんが自分を変える為に必要な経験だったのかもしれないと今は考えています。当時の医者の一人から、貴方の様な人は社会生活を諦めないといけないと諭されてショックを受けたのを覚えていますが、そんな私を会社に置いて下さった当時の社長には感謝が足らなかったと今から思い返すと申し訳なく思います。その社長から水素水を勧められて脱ステロイドを決意しました。またその頃から走る事を始めて3.11の年には東京マラソンを完走しましたが、ブログを始めたのもこの脱ステロイドの記録と走る事の記録からでした。

仕事はシステム開発を生業として来ました。しかし、50代も半ばを過ぎて父も母も亡くなった頃にその長年勤めた会社が倒産する事になり転期を迎える事となりました。当時、病院システムの開発をしていた関係上、日本医師会がやってるオルカプロジェクトを知りました。会社倒産後もLinuxのオープンソースDebianを使っている医事会計システムに関心を持ち積極的に関わるようになり、起業をする事となりました。それはオルカプロジェクトが背中を押してくれたとはいえ大きな決断でした。スタートは埼玉戸田市の起業支援センターからでしたが、入所する為のプレゼンテーションの時に当時の私と同年齢の役所の課長からどうして、そんな年齢で起業するのかと不思議がられた事を覚えています。

 

現在はHoly Mother Hanに侍る家庭連合の一信徒となっています。