寝て食べて糞をする。寝てばかりの生活。そんなサイクルからどうしたら抜け出せるのであろうか。休みになるとこの有様である。「六道」という言葉が頭に浮かぶ。しかし、これもまた遍路だろう。
「六道」について調べてみた。
この世に生を受けた迷いのある生命は死後、生前の罪により、地獄道(じごくどう)、餓鬼道(がきどう)、畜生道(ちくしょうどう)、修羅道(しゅらどう)、人間道(にんげんどう)、天道(てんどう、天上道、天界道とも)の6つのいずれかに転生し、これら六道で生死を繰り返す(六道輪廻)と言われている。たとえ天道であっても、苦しみの輪廻する世界を脱することは出来ない。諸行無常の原則により、どの世界に生まれ変わろうとも、何時かは死に絶え、別の世界(或いは同一世界)へ転生する宿命。上記6種の世界は、須弥山世界観等においては、しばしば空間的領域として捉えられる。 この輪廻の道から外れたものを俗に外道(魔縁)という。
地獄道は生前の罪を償わせるための世界
餓鬼道は餓鬼の世界である。餓鬼は腹が膨れた姿の鬼で、食べ物を口に入れようとすると灰となってしまい餓えと渇きに悩まされる。
畜生道は牛馬などの世界であり、殆ど本能ばかりで生きている。人間に使役され、ほとんどなされるがままという点で救いの少ない世界である。
修羅道は修羅の住まう世界で、修羅は終始戦い、争うとされる。苦しみや怒りが絶えないが地獄のような場所ではなく、苦しみは自らに帰結するところが大きい世界である。
人間道は文字通り人間が住む世界である。四苦八苦に悩まされる苦しみの大きい世界であるが、苦しみが続くばかりではなく楽しみもあるとされる。
天道には天人が住まう。天人は人間よりも優れた存在とされ、寿命は非常に長く、また苦しみも人間に比べてほとんどないとされる。また、空を飛ぶことができ享楽のうちに生涯を過ごすといわれる。しかしながら煩悩から解き放たれては居ない。天人が死を迎えるときは五つの変化が現れる。これを五衰と称し、体が垢に塗れて悪臭を放ち、脇から汗が出て自分の居場所を好まなくなり、頭の上の花が萎む。
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