単なる商品の売買以上の何かがそこには存在している。確かに商品を購入するだけなのだが既存の流通とは全く異なる購入方法であるという点である。何が一体違うのか?単に商品を購入するだけではなく、商品以上の何かも一緒に購入しているのだ。それは人間関係だろうかと考える。実はそれ以上の何かであるというのが結論なのだ。
ネットワークビジネスで扱われている商品はユーザーと一体不可分である。その商品を一緒に使っているという一体感が半端ないのである。従って、その商品に対する製品愛も当然の如く深くなるのである。
要はその商品を使うのか?使わないのか?そこで運命は別れるのである。人間関係も変わるという事なのだ。
使わないとなれば、人間関係も残念ながら遠くなるのだ。使ってみるかどうかは、どれ程その商品を勧める人のいう事を受け入れるかどうかだ。勧め方によっては、受け入れない人は関係のない人と判断されてしまうかもしれない。そういう意味では勧めようとする人の人間関係の踏み絵になるのかもしれない。とにかく人間関係に大きな影響を与える事は間違いない。場合によっては人間関係が壊される場合もあるかもしれない。
これは結局は価値観の問題なのだ。価値観を強要しようとすると、そこに問題は当然発生するのは必然である。どれだけ有り難いものであったとしても単なる目に見える商品で人間としての価値が決められてしうとすれば尚更なのかもしれない。
共感し共有出来る価値があれば良いのである。或いは普遍的な価値があるとすれば問題は発生しないと考える。そこで共感し共有出来る人間関係とは何かという事である。それは決して金の亡者を中心としたカルト集団ではないのである。そんな仲間には誰もなりたいとは思わないのだ。
それを理解するにはネットワークビジネスと対峙する存在を考える事が必要になっているかもしれない。それが共産主義の場合は巨大資本であった。実は問題とするところは同じなのだ。マスコミやテレビそしてインターネットを嫌いコマーシャルを嫌い口コミで行こうとするネットワークビジネスの原点はこの辺りと関連していると考える。
その事はネットワークビジネスのアメリカでの発祥の歴史そして時期から考えても妥当性があるのではないかと考えた。共産主義が生まれた時代に実はネットワークビジネスも生まれているのだ。つまり、時代背景に共通のものが存在している。でもこれは、まだ誰も説明出来ていない内容かもしれない。
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