2016年或いは2017年がユダヤ・キリスト教のヨベルの年という記事をよく目にした。ヨベルの年とは50年に1度訪れる全てをゼロに戻す年である。社会として借金や負債が清算され元に戻される年である。神が天地創造された時に7日目に休まれた事から7日目は安息日とされ休まなければならないとされた。それと同じように7年目は安息年とされ農作業とか仕事はやってならないとされた。そのサイクルを7回繰り返した後の次の年を大恩赦の年であり何もかもリセットするヨベルの年としたのだ。現代には存在しない歴史的なこのヨベルの年を意識しているのではないかと思われる映画がモーセのユダヤ民族の解放を描いた「Exodus:Gods and Kings」である。じつは50年前にもハリウッドは「十戒」という映画を作っているのだ。ナイアガラの滝で作成された50年前の映像は今日のコンピュータと映像技術の進歩でさらにリアルなものとなっている。
そして、日本では2016年や2017年に何度も議論されていた事であるが、いよいよ天皇陛下が御高齢となり今年2018年に平成がいよいよ終焉する事が発表された。そして平成の事は平成で終焉させるという国の意向と関連するのではないか?と言われるオーム真理教の麻原教祖他計7名の死刑が執行された。一挙に7人というのが異例でそれは70年前1948年の東京裁判でA級戦犯7名の絞首刑以来の事だという。
これらの「ヨベルの年」や「平成の終焉」そして「オーム真理教の死刑執行」は一見何の関係もない事のように思われるが不思議にも時期的に一致点を持っているのではないか?という疑問を持った。
今が如何なる時代なのかは過ぎてみないと分からない。しかし、誰もが実はその事を感じているのかもしれないと思うのだ。終わりの時は始まりの時でもあると言う。 何かを感じないだろか?モーセが行ったような奴隷となったユダヤ民族を解放するような何かが起ころうとしているかもしれない。
ヨベルの年とは一体何か?これは神から与えられた社会システムというのであろうか?1週間の最後に休む思想はヨベルの年という考えにまで発展するが妙に説得力がある。人の身体と同じように社会も休む必要があるという事だろうか?そして、世界は新しく出発して行くのかもしれない。
井上嘉浩死刑囚は事実認定が不十分と指摘 オウム真理教の死刑執行 #ldnews https://t.co/EAtV4g9U86
上川陽子法務大臣が死刑執行命令書に署名したのは7月3日で6日に執行したらしい。— 谷岡一雄 (@kazuotanioka) 2018年7月6日
コメント