今ハワイに休暇に来ているのでもないのに、何をすれば良いか分からずにいるとすれば問題ではないですか?それが仕事の時ならば、ハローワークに行って「どうすれば良いでしょうか?」と真剣になって相談しなければならない人生の岐路に立つ状況かもしれない。というより、あなたはそのように感じる時点で、もう自分は終わっているのではないか?と考える必要があるかもしれない。
会社に勤めている時はやる事が無い時は仕事は自分で探し出すものだとよく教えられた。これは社員だった場合である。この場合は深刻さはまだまだである。
経営者であった場合はどうだろうか?深刻さがまるで違ってくるのだ。でも、その深刻さが自分を追い込んでいるのかもしれない。また貴方が引きこもりで仕事を持たずに何もしていなかったとしても、何も出来ないで焦っているなら状況は同じである。
経営者なら「仕事がない状況は生きるか死ぬかという廃業につながるもので、より深刻な問題となる。根本的な原因を考えてみなければならないと考える。
売上の問題と考えるかもしれない。「売上が上がらないという事はそもそも売れるものがないのか?それとも売れるものはあるが売れていないだけなのか?」などと考えたりするかもしれない。これを考え出すとキリが無い。どんどん妄想が膨らんで自分を苦しめる。
「売上」について考える以前に、もしも今本当に「やる事がない」「やる気がない」と感じているなら、冷静になって「どうして今やる事がないのか?やる気がないのか?」と考えている自分という存在について客観的に考えてみなければならないのではないか?自分を俯瞰するのだ。そうすれば既に終わっている自分という存在が見えて来るに違いない。
色々と世の為人の為にやる事があって仕事があって「売上」について考えるなら意味があるという事なのだが、そうでないなら、これは何か的外れな事を今ここでやっているのかもしれない。これは心の病と言える状況かもしれない。そうなのだ。終わっているのだ。
そもそも、仕事は自分一人で作り出すものなのか?また作り出そうとして作れるものでもないような気がする。人の為にやる事があって、仕事があって、それで売上があるからなのだ。仕事はもともと一人でやるものではなくて人間関係の中で作り上げられるものだという認識が重要だ。これについては会社に勤めているとか会社を経営しているとか仕事をやっていないとか、、、関係ないのだ。
やる事がない、、、やる気がない、、、本当にそうなら、それは残念ながら、貴方はそこには居てはいけないのかもしれない。あなたは其処では必要とされていない存在であるのかもしれない。その場合は其処を立ち去らねばならないのかもしれない。会社に勤めているなら、会社は辞めた方が良いのかもしれない。事業をやっているなら、その事業は辞めた方が良いのかもしれない。家でブラブラしてきるなら家を出なければならないのかもしれないのだ。
過去に遡って自分を静かに見つめ直してみると良いかもしれない。それは今までは見過ごしていたかもしれないけれど簡単に答えが見つかるかもしれない。
一番簡単に誰もが到達出来る答は勉強する事である。何を勉強するかは人によって違うけれど、、、無知からは何も生まれない。ソクラテスが「無知の知」という事を言ったというけれど無知を打開する事こそが全てを切り開く道であるというのは間違いない。
出来る事なら、要するにどんな小さなつまらないような仕事であったとしても、「感謝の心プラスの考え」で、貴方が経営者であろうと従業員であろうと、また引きこもりで何もやっていなくても今ここで自分が貴方が出来るその仕事に全力で取り組むようになっているという事が大切という事なのだ。そして、「笑いながら堂々と喜びを持って出発すれば全て上手く行く」のだ。
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