不労所得の本質とは?本来人は仕事を探す必要は無い?

所得には労働して得られるものと最近よく耳にする不労所得というものがある。この不労所得という存在を忌み嫌う人が実に多いのであるが、この不労所得の本質を大胆にも解説してみる。

聖書の創世記に人間始祖アダムとエバが取って食べてはならないという木の実を食べて堕落したから人間は苦労して働く事になったという記述がある。失楽園の物語である。
そうなのだ。人間は本来堕落しなければ苦労して働く必要も無かったという事は少し真面目に考えてみなければならない事なのかもしれない。
「更に人に言われた、「あなたが妻の言葉を聞いて、食べるなと、わたしが命じた木から取って食べたので、/地はあなたのためにのろわれ、/あなたは一生、苦しんで地から食物を取る。 地はあなたのために、いばらとあざみとを生じ、/あなたは野の草を食べるであろう。 あなたは顔に汗してパンを食べ、ついに土に帰る、/あなたは土から取られたのだから。あなたは、ちりだから、ちりに帰る」。」
‭‭創世記‬ ‭3:17-19‬ ‭口語訳‬‬
http://bible.com/1820/gen.3.17-19.口語訳

現代は終末という事が良く言われる。終末とは何か?歴史の終わりであり、新しい歴史の始まりでもある。つまり現代はまさに人間始祖アダムとエバの時代と同時性の時代だったのだ。
だから我々が歴史の方向を間違わなけれは未来には働かなくても生きていける夢のような世界が待ち受けているのかもしれない。それは神がコンピュータに降臨する時代なのかもしれない。ひとが神と共にあって世界を支配する時代それはまさに新約聖書の黙示録で予言された世界である。でもそれが、どのように実現するのか?誰が知っているだろうか?
しかし、歴史の方向性を誤れば、また額に汗して働かねばならない時代に逆戻りするという事なのだ。こちらの方が多くの人には現実的と思えるかもしれない。
でも働かなくていい世界も現代において少し顔を出していると考える事も自然な発想として考えられない事もないと言えないだろうか?不労所得で生活するという事の本質に実は新しい歴史の力が働いているのではないかという考察なのだ。
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