幼い時に見た「あの世の景色」に年老いて気付くもの

もう半世紀も前の事になる。今はもう存在していない航路であるが、神戸から舟に乗り明朝に四国の徳島県と高知県の境にある甲浦というところの岸壁に到着する。海と山が岸壁に迫り不気味な静けさの存在感は時を超えて未だに自らに迫って来るのだ。それはまさに畏怖すべき何かなのだ。明らかに時間と空間を超えた霊的な何かだった。当時はただ畏怖だけだった。それらは結局、自らの父を母を兄弟姉妹を飲み込んで行った。あの闇の向こうに父が母が存在しているようなきがするのだ。兄弟姉妹もきっといるのだ。逝ってしまった人々の居る世界、、、

人はあの世を見る事は出来ない。死んだ人が行った世界を知る事は出来ないと考えている。でも時々この世界に顔を出している時があって、我々はそれに出会っているのだ。
早朝に船が港に到着すると今度はよも明け切らぬ暗い中に朝一番のバスで佐喜浜に向かう。単車線の狭い海と山に挟まれた道を人の背丈ほどもある笹をかき分けながらバスは進む。父と母は盆に墓参りをしたかったのだ。人に貸してある家もあった。父の叔母さんの家があり、母の実家もあった。挨拶して、また大阪に戻って行ったのだ。そこには弟達の墓もあった。親父の兄貴達の墓そして両親やお爺さんの墓もあった。
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