記念すべき歴史的なオリンピックが東京で開かれる予定であった。その輝かしいはずの2020年が始まると同時に新型コロナウィルスが恐ろしい勢いで感染を広めた。何でこの時なのだという疑問の中、パンデミックがWHOから宣言された。中国での感染が治まった中で発表されていて、その政治的な意味が問題視されたのだ。
その特徴の第一は風邪と似ているが、、、潜伏期間が長い。最長14日間。風邪の症状の期間も長い。それが普通の風邪とこの感染症とを区別するものらしい。それで症状が出ていない人がどんどん感染を広げる。
なのに重症化する時は一気に専門医も驚くような恐ろしい症状の変化を起こすらしい。これが第二の特徴で1日で、場合によっては数時間で肺のレントゲン写真が急激に真っ白になる。それまで話せていたのに人工呼吸器をつけないと助けられなくなる。間に合わなくなる。そういう事が目の前で一気に起こると現場の医師が報告している。片方の肺とかでは無く両方の肺がやられてしまうらしい。ある意味これがこのウィルスの真に恐るべき点かもしれない。だから感染してはならないのだが、、、ここで生物兵器という言葉が頭をかすめる。。。
そして、こうした感染症は一度良くなると免疫が出来て、二度と感染しなくなるのが普通であるが、第三の特徴として、このウィイルスの場合は何度でも感染して、二度目の方が重症化し易いらしい。もっと言えば二度目より三度目が恐ろしい結果になるようなのだ。検査で陽性から陰性になっても、また陽性になり、最後は命までも奪って行く不治の病を人類に与える恐ろしいウィルスだという人もいる。それは一生付き合わねばならないHIVの遺伝子が組み込まれているからという説明がピッタリ来る。どうして治療薬としてカレトラのようなエイズ治療薬が使われているか不思議に思わないだろうか?
このウィルスについて「インフルエンザ程度」「騒ぎ過ぎ」とか言っている人もいるが本当の恐ろしさを認識させられるにはもう少し時間が必要かもしれないのだ。どうして、あの異様な防護服を着て対応しなければならないか?よくよく考えてみなければならない。誰かが言っていた。「いつ誰が発症、重症化してもおかしくない状態。それが今の日本。大規模イベントなんてやってる時じゃ無いのに何となく収まってきてる雰囲気になってるのが恐ろしい。」全くその通りだ。
そして、問題になるのが、その感染経路で普通は肺で肺から始まって肺に終わるらしいのであるが、肺以外にも心臓、肝臓、脳、、、色々なところに感染して死に至らせるらしい。道で急に倒れる人がいるという中国の動画が話題になっていたが、、、
これらを実現させているのは、この ウィルスが生物兵器としてコロナウイルスのタンパク質に人工的にHIVとSARSのタンパク質も組み込んだからという説明がどうしても最も当を得ているような気がするが本当のところはこれから明らかにされるのであろう。現時点では誰も分からないし、適当な事は言えない状況である。しかし、武漢に中国の生物兵器研究所2つあったそうであるが、それは現在は跡形もなく破壊されてしまっているらしい。。。中国共産党の言う事は全く信用出来ない。その患者数や死亡者数も全く信用出来ない。多くの人がそのように言っている。
誰もがこのウィルスから逃げられないので、共存するしかないなどと言う方もいるが、もしもHIVと同様の免疫不全に追い込まれるウィルスだとすれば、共存など有り得るのだろうか。あるのは死だけのように思える。そこにあるのは世界の終わり、、、ただ神を信じるならば、そこに奇跡と再生はあるのかもしれないと考える。そのあり得ない再生の中に本当の共存があるのかも知れない。ただし、それは現在の我々には想像もつかない形で突然に与えられるのだろう、、、しかし、いまの見える未来は死以外に何も見えないのだ。
死者の数では3月半ばを過ぎてイタリアが中国を抜いて世界一になった。どうしてイタリアなのか?コロナとは王冠を意味するらしい。どうして、そのような名前がついているのであろうか?ローマ法王は疫病終息のゆかりの「奇跡の十字架」に祈りを捧げたらしい。それはイタリアのローマにある古い大聖堂でそこに1522年の疫病時に各地を巡業した「奇跡の十字架」があるらしい。サンマルチェロアルコルソ教会(San Marcello al Corso Church)である。神の審判という言葉がまた頭をかすめる。
<参考>
このパンデミックは世界史に少なくとも第一次世界大戦や第二次世界大戦のレベルで記録される出来事になるのは間違いない。3月末にアメリカが患者数では世界一となった。
この事件が我々一人一人の人生に大きな影を落とすようになる事も間違い無い。為さなければならないのは反省である。どうして、このような事件が起こったのかの原因を徹底的に突き止めなければならないだろう。もしも、それが人為的ものであるならば尚更である。
感じるのは我々は本当に大きな渦の中にいるという事である。渦の中にいるので状況の客観的な把握が出来ていないのかもしれない。その大きな意味を把握出来ていないのかも知れない。事態が大きく変わっているのが実感出来ていないかも知れないのだ。でも、本当にどこまで事態が大きく変わるのか誰も分からない。ひょっとすると第一次世界大戦や第二次世界大戦を超えるような世界の終焉を迎えるかもしれないのだ。でも、我々は最後の最後まで生きて行かねばならず戦って行かねばならないというのは変わらないだろう。
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