コロナ感染して、1週間程のホテル隔離後、症状悪化して救急車で入院、重症までは行きませんでしたが、中等症と言われて10日以上入院生活して退院した経過をまとめてみました。
ホテルでの隔離生活
2022/02/12 発熱。。。何処で感染したのか?全く不明。2月4日に息子のラーメン屋でアルバイトがコロナ感染者になるも、息子は濃厚接触者にもならず、そのままに。家内も息子も発症はしていないので何も分からず。。。或いは市中感染?この事があった後、家の中のアルコール消毒の徹底。家のマスク。。。
変わった事と言えば、2月10日は家のALSOK と契約解除した事による工事の日でもあって工事関係の人が来ていた。そこで会った人からの感染も否定は出来ない。
2022/02/13 イムス東京葛飾総合病院でPCR検査 家内と息子と分かれて生活する為にスーパーホテル東京JR新小岩で隔離生活スタートした。対応が早かったのかワクチンを打っていない家内や息子にも結果として、感染しなかった?
2022/02/15病院からコロナ陽性の連絡 ホテル側に陽性の報告取り敢えず、追い出される事は無く置いてもらえる事に。凄まじじい量の痰と39度を超える熱に苦しめられる。知り合いの先生からパルスオキシメーターで酸素濃度を測定して低くなったら即病院に行った方が良いと言われて、Amazonで注文する。
2022/02/17Amazonに注文していたパルスオキシメーターが届き、ホテルに持って来てもらう。保健所からもパルスオキシメーターは持っている様にいわた。
2022/02/18夜になって、解熱剤カロナールを飲んでも熱も下がらず、血中酸素濃度も低いところから変化がないようになって保健所に連絡したら病院を紹介するので待って欲しいと言われた。そして、自分でもこのままだと危険だと思うようになった。暫くすると保健所から指示を受けた医療機関から連絡があった。
2022/02/19 am2:15保健所から紹介された自宅隔離者支援センターからの指示でfastdoctor という会社からのオンライン診療を受ける事がようやく出来る。申込はその前日より行うも、なかなか順番が来ず診てもらえない。前日のpm10:00頃に申込むもずっと待たされ二十数番目で何と4時間もかかって、ようやく受診出来た。受診出来ると、緊急入院する為に今すぐに119番に電話するように指示をうける。「今すぐ119番」という言葉に驚くも、医院の名前とドクターの名前を教えられた。理由はパルスオキシメーターが危険な数値であったからだ。これだけの診療の為に時間がかかり過ぎる。。。とその時思った。
誰も手伝って貰えず、どうやってホテルを引き払い場所を変える事が出来るのか途方にくれるも、持ち込んできた食品や持ち込んでもらった食品などは全て捨てる事を決意して、苦しいながらも荷物を持ってホテルの外に出る。
2022/02/19 am3:00救急車がホテルに到着。ホテルの前で一人で荷物を持って立っている私を見つけて少し唖然としたようであった。しかし、指示を出した先生の名前を出すと 受け入れてくれる病院を探してくれるが見つからないでホテルの前で救急車は3時間くらい止まったままとなってしまった。入院の受け入れ先が無いというケースもあるという事を救急隊員の方から告げられる。しかし、朝方頃に順天堂医院で午後なら病室が空くという情報がいり、それまで赤羽酸素ステーションというところで待機する事となった。赤羽酸素ステーションでは朝ご飯のお弁当とお昼のお弁当をいただく事となった。この新型コロナに感染して初めてまともなものを食べた瞬間であった。
不思議なのは、どうして順天堂医院に入院出来たのか。通院している病院ではあったが、救急隊員の方があれだけ電話連絡しても入院先が見つからなかったのに不思議としか言いようがない。
順天堂医大への入院
2022/02/19 pm3:00赤羽酸素ステーションを出発して御茶ノ水の順天堂医院に向かう。pm4:00到着後胸のCTを取らされた。また血液検査のために血液も取らされた。夕食をいただいたが夜中に酷い寝汗をかいて2度も下着を交換した。
デカドロンと酸素吸入の入院生活が始まった。どうも、このデカドロンがコロナの特効薬のようなのだ。
2022/02/21 昼頃?コロナになって初めて身体をタオルで拭く
2022/02/22 11:43コロナになって初めてシャワーを使って頭をあらう。ただし、酸素ボンベしたままで濃度も2倍して使いました。酸素ボンベ無しでこんな事したら死んでしまいます。
2022/02/25今日でデカドロン投与が終わった。これで3日間様子を見るという先生の話し。心臓などに出来る血栓を予防する為の点滴が開始される。血液をサラサラにして血栓を予防するらしい。デカドロンが終わった後がとにかく問題らしい。酷くなる方は何倍も悪くなるようだ。コロナの炎症値が問題らしい。先生から死なないから大丈夫と言われる。
2022/03/01主治医からコロナの炎症値が高いけれど退院して様子を見ましょうと言われて同意する。これは多少無理して退院という言葉であるが、病院では基本的な流れなのだ。他の人に感染させるピークは過ぎているからなのだろうか。また熱が上がった時の為にデカドロンをまた一週間処方されるも飲みたくないと拒否したら、先生から薬は出ない事になる。ここで良くなる人とまた悪くなってぶり返し入院となる人がいるらしい。熱がでたらまた連絡下さいと言われる。入院生活については精神的に耐えられない状況、、、監獄にいるような閉塞感に悩まさせれる。入院費用は公費でゼロのようである。とにかく、もう耐えられない状況だったのだ。これは病院側もお見通しだったのかもしれない。自分以外の病床は新しい患者が入っては退院を繰り返して、此処にずっと居たらコロナ漬けではないか?咳と痰の音が絶えない病室で考えさせられたのだ。
退院しての療養生活
やっと入院生活から解放されたという気持ちが大きかった。家に帰ると布団が敷いてあって、病院では味わえない安堵感があった。
退院して家に帰ってから、近くに住んでいる家内の実家の母から電話で何で完全に良くなっていないのに退院して来たのかと言われた。家族が大変なんだよと言われた。家内からはイビキがうるさくて眠れない。寝る向きを変えてと何度も何度も繰り返し言われた。それでも病院に比べれば気持ちは落ち着いて、本当によく眠る事が出来た。
退院1日目2022/03/01退院した日に家で夜寝る前に体温を測ると36.8度で少し熱があったようだ。2022/03/02朝起きると寝汗をかいていて着替えをした。朝は平温であったが、この病気は普通の病気では無い、、、。病気?なのか?何が間違っているのか?自分だけ特別という考え、、、。皆んな同じなのだ。コロナ感染して中等症まで行った。コロナ感染で80%は軽症で15%の人が中等症。。。退院したその日は何故か死んだ様に昼間も夜も眠った。病院では眠れなかったのだ。
退院2日目2022/03/02家に帰って思うのは救急車の多さである。朝から晩まで、、、。この町は大丈夫なのか?寝る前の体温は平温+0.2度で体調が通常に戻った?夜少しだけ寝汗があって着替えをした。この日もずっと眠っていた。
そして退院3日目2022/03/03にタクシーで順天堂医院順天堂医院でレントゲンと血液検査の再検査を行いドクターから説明を受ける。これは、私にとっては実にラッキーであって本当は退院後の診察は17日であったが、この日は入院以前から予約していたのだ。先生が呼吸器内科の先生でコロナチームにいたので入院中の主治医からカルテを受け継いで、退院後直ぐに診察を受ける事が出来たのだ。
退院後直ぐ検査と診察してもらえて、以前よりアレルギー性気管支喘息で診てもらっている先生からからの「山は超えている」という言葉で良くなっていると初めて実感した。退院時は50%の確率で症状が悪化する事も言われていたからだ。デカドロンは飲まなくて正解だったのだ。レントゲンの影は仕方ないにしても、熱は下がり、CRP の値が下がっていたのだ。退院してから悪化するのではなく、良くなっていたのだ。「デカドロンを飲まなくて良い」と言われて本当に安心した。
この時はCRPの値0.8で、今までの経過2/19(3.29) 2/22(0.57) 2/24(2.20) 2/25(2.87) 2/26(4.15) 2/28(4.12) からの3/3(0.80) で2/19-2/25朝デカドロン、2/26からは薬中止。3/1退院。の経過から現在のところデカドロンを飲んでいないにも関わらずCRPの値が落ちているのでデカドロン飲む必要無しとの事。症状としての峠は越えたと言う認識。肺の影は消えていないので3月末にもう一度血液検査とレントゲンやりましょうと言われる。
この日にコロナに感染して初めて風呂に入り髭を剃った。何日ぶりだろ。この日に自分の客観的な状況を把握出来た。
入院中の事を色々と思い出す。毎食後血糖値のチェックを行い、血糖値が高いとインシュリンを打たれた事である。入院当時300近くあり、インシュリンを打たれた。これはデカドロンの副作用の為らしい。勿論、過去に血糖値が高いと言われた事は一度も無くインシュリンを打った事も一度もなかったが、、、デカドロンは大変な薬なのだ。血液の炎症の度合いを表すCRPが上がった時に血液をサラサラにする点滴をまる三日すると言われた。実際は二日てあったが、、、。そして、酸素ボンベは入院中はずっとやっていた。
2022/03/05pm07:30熱を測ると36.7度である。もう完全に良くなったと思っていたが、考えてみると朝起きた時に少しずつふらふらして何かに捕まらないと歩けない。。。少し咳が出る。。胸の違和感がある。。。要注意だ。
医師と話した大切な事
仕事で知り合いのコロナで入院経験のある医師にコロナで感染した事をラインで伝えると、パルスオキシメーターで血中酸素濃度を測る重要性と下がったら直ぐに病院に行くべきと教えられた。この事でAmazonでパルスオキシメーターを購入し、その値を伝える事で保健所との難しいやり取りもスムーズだった。これは今から考えると非常に重要なアドバイスだったのではないかと思える。結局のところ、救急車の中でも、入院中もこのパルスオキシメーターの値が全てだったのだ。これを軽視すると死が訪れる事を医療関係者は良く知っているのだ。人はどんな状況にも慣れてしまう。。。死が直前にあってもだ。だから客観的な評価が重要なのだ。
保健所から紹介されたオンライン診療の先生は何も聞かず119番に電話して、救急車を呼んで下さいとしか言わなかった。考えてみれば無責任であるが、この一言で救急車を呼ぶ事になった。
順天堂医院入院中のコロナチームの先生は順天堂医院に勤務しているが他の病院のコロナ病棟にも出掛ける忙し過ぎる感じがあった。入院中の治療方針を出していたが、死ぬような事はないと言って下さった。
2022/03/31退院後1ヶ月して再度レントゲンと血液検査を行って話しをを聞いた。血液検査の結果は正常に戻っていたが、レントゲンの結果は100%正常に戻ったのではなく、健康な時のレントゲン写真と比較すると白い部分がまだ少し残っていた。「山を越えても」また「ぶり返す」事が結構あるようで、「順調に良くなっているので良かったですね。」と言われたのだ。後遺症の事だろうか?自分としては100%良くなったと思っていても、実はそうではないという事に驚いた。この時、入院中のCT写真やレントゲン写真を見せられたのであるが、白くなった肺を見ながら改めて怖いと思わされた。診察の最後にコロナに感染して、今は免疫があるから夏までは無敵ですね。でも夏からはまた注意しないといけませんねと釘を刺された。
久しぶりにあった近くの医院のドクターから「退院出来て、元気になって良かったね」と言われたが、「退院出来て」というその言葉に本当にその通りだと思ったのだった。退院出来ない可能性だってあったからなのだ。
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