献金は祈りや敬拝にも相当する、ある意味最も尊い宗教的行為である。商売と同等に決して語られてはならない尊い魂の行為である。それに金額の多い少ないは関係ないのである。宗教に関心の無い人にとって献金は理解できない行動となってしまうが、献金は実は非常に重要な宗教的意味を持つ行動であると知らなければならない。
従って、献金をした事や献金を幾ら行ったか?それは人と神の間にされる事で他人がとやかく言う問題ではない。
聖書の中でイエスが献金について語られる場面がある。マルコの福音書12章である。
「イエスは、さいせん箱にむかってすわり、群衆がその箱に金を投げ入れる様子を見ておられた。多くの金持は、たくさんの金を投げ入れていた。 ところが、ひとりの貧しいやもめがきて、レプタ二つを入れた。それは一コドラントに当る。 そこで、イエスは弟子たちを呼び寄せて言われた、「よく聞きなさい。あの貧しいやもめは、さいせん箱に投げ入れている人たちの中で、だれよりもたくさん入れたのだ。 みんなの者はありあまる中から投げ入れたが、あの婦人はその乏しい中から、あらゆる持ち物、その生活費全部を入れたからである」。
https://bible.com/bible/1820/mrk.12.41-44.口語訳」
マルコによる福音書 12:41-44 口語訳
レプタとは当時の最小の貨幣単位で1日の労賃と言われた1デナリの128分の1らしい。現代の感覚だと2枚で100円くらいだそうだ。彼女は何にも持っていないのに、それでも献金したのだ。
聖書には十分の一の献金について、以下の様な厳しい御言も存在する。それは、旧約聖書の最後の書であるマラキ書3章にある以下の部分である。
「人は神の物を盗むことをするだろうか。しかしあなたがたは、わたしの物を盗んでいる。あなたがたはまた『どうしてわれわれは、あなたの物を盗んでいるのか』と言う。十分の一と、ささげ物をもってである。
https://bible.com/bible/1820/mal.3.8.口語訳」
マラキ書 3:8 口語訳
十分の一の献金をしないものは神から見ると泥棒となるのだ。
また金持ちについては以下の有名な御言がある。
「また、あなたがたに言うが、富んでいる者が神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通る方が、もっとやさしい」。
https://bible.com/bible/1820/mat.19.24.口語訳」
マタイによる福音書 19:24 口語訳
この聖句の前には、ある青年がイエスの所に来て、永遠の命を得るにはどうしたら良いかと聞く場面が語られる。しかし、彼はイエスより、持っている全てを捧げなさいといわれるのだ。しかし、それが出来ずに悲しそうに去って行くという内容である。彼は資産家であったのだ。
弟子になるには全てを捧げなければならないとイエスは言われ、金持ちはそれが難しいと言われたのだ。
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